法輪寺について

佛海山といい 臨済宗博多崇福寺末

佛海山といい臨済宗博多崇福寺末。初めは真言宗で相当大きな伽藍を持っていたらしい。
応安七年、蔵海珍により中興され、これより禅宗になったといわれています。黒田家から山林2000坪の寄進があっている。文政六年、境内より五輪の塔50基が出て、次のような刻銘がみつかりました。
「逆修尼本妙三妄霧忽晴五智覚月明九界 損 致菩堤」「右逆修善根為沙覚願泰不生理悟入建此墳墓応徳元年未歳五月 日」また、石仏、経石、経筒も出ている。経筒は県指定有形文化財、現在本堂の礎石には、平盛兼と読まれる文字が刻まれています。

銅製経筒
(福岡県指定文化財)

法輪寺西の谷で昭和二年(1927年)発掘された青銅製円筒型経筒があります。高さ14.4センチ、口径約7センチ、台の部分は径約8.5センチ、それに径7.5センチの蓋があります。筒の中には軸木二本(割竹製)が残っていました。その長さ11.2センチ、太さ0.3センチ(経文の紙の部分は消滅したものと思われる)筒身に次の銘文86字が陰刻されていて、経筒供養の理由、日付、導師、勧進、施主の名もの記されています。

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