佛海山といい 臨済宗博多崇福寺末
佛海山といい臨済宗博多崇福寺末。初めは真言宗で相当大きな伽藍を持っていたらしい。
応安七年、蔵海珍により中興され、これより禅宗になったといわれています。黒田家から山林2000坪の寄進があっている。文政六年、境内より五輪の塔50基が出て、次のような刻銘がみつかりました。
「逆修尼本妙三妄霧忽晴五智覚月明九界 損 致菩堤」「右逆修善根為沙覚願泰不生理悟入建此墳墓応徳元年未歳五月 日」また、石仏、経石、経筒も出ている。経筒は県指定有形文化財、現在本堂の礎石には、平盛兼と読まれる文字が刻まれています。